無職である、独身である。人生何度目かのスゴロクは始まったばかり。見ていきなせぇ笑いなせぇ。あきらめるのはまだ早い。 、、、の第二部 すっかり無職でなくなったおれっちの、右も左もわからねえ金融業界裸一貫進む様、とくとご覧あれ!
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駒の性能
さて、本ブログは私のこれからの人生の道筋を辿るリアル人生スゴロクである。スゴロクの駒は私。
これからどのようなスゴロク盤を進んでいくにせよ、スゴロクの駒である私の性能は重要である。そこで本日はざっくりと駒である私の性能をお伝えしたいと思う。
ちなみに今のところの私の名前はニートマン(仮)とでもしておく。

まず第一に無職なんである。
今風なおしゃれな言い方をすればニートである。

おそらく第一の関門はいかにして社会とつながっていくかではないだろうか?果たしてフリーターになるのか?派遣社員になるのか?正社員になるのか?はたまたニートのままでいるのか?

もちろん落伍者がやすやすと再びのぼっていけるほどこの三千世界は甘くない。そんなことは百も承知であるが、それでも30歳という年齢はけっして再起を図れぬ年齢ではない。いやそうであると私は信じているのである。

これから私が進みゆく道はつらく苦しいに違いないんである。何しろ私は貯金も仕事も嫁さんもいないだけでなく、経験も資格も職歴も何もないんである。履歴書に書けることといえば運転免許だけである。いまどき運転免許が就職選考に際しプラス要因たり得ないことは周知の事実なのである。

話を戻す。

30歳独身。貯金なし、伴侶なし、資格なし、職歴なし。

簡潔に書けばたった一行ではあるが、ではここからはもう少し細に入って紹介していこう。

パソコンの技能に関してはほぼないに等しい。Microsoft Office のWord は多少いじれるがExcelは単なる四則計算しかできずPower Pointも数えるほどいじったことがあるだけである。当然のことながらこれらすべてに関するあらゆる資格は一つも所持していない。
インターネット技術に関しても、独身男性が必要とするいかがわしいサイトを検索する以外の技術も知識も全く有してはいない。
その他簿記など、事務系の資格技術も一切有していない。

語学に関しては恥ずかしながら少々自信がある。

まず日本語が堪能である。

屁理屈をこねさせたら右に出るものはおらず、言葉の巧みさは上岡龍太郎もかくやと思わせるが、そう思っているのはおそらく私だけである。日本語のほかは英語とスペイン語および猫語を少々解すが、ここでも日本語を含め資格の類は一切所持していない。

これまでの人生で一つのスポーツに情熱を傾けたという記憶はないが身体はおおむね頑強である。とはいえ例えばライフセーバーのような体力を要する資格等を所持しているわけではなく、
夜の作法に関しても“回数より内容である”などと嘯く程度である。

職歴に関しては、一言、ない、としか言いようがない。大学を卒業後10ヶ月のフリーターを経て再び大学生となり、7年半を経て今に至ったのである。その間パートタイマー、つまりアルバイトはいくつか経験しているがそれらは日本では残念ながら職歴として考慮されぬらしい。というわけで7年半海外で臥薪嘗胆、学問の道に励んだ私には職歴がないのである。

内面的には感情的な面と理性的な面を併せ持つよく言えばバランスの取れた、悪く言えばこれといって特徴のない人物である。短期的には情熱を発揮するが面倒くさがり屋で集中力が長続きせず、独創的なアイディアを豊富に蓄えているが実務能力に欠ける。倹約家ではないが浪費家でもない。
平均的な能力において人後に落つることはないが、かといって特殊な能力がすこぶる長けているというわけではない。


長くなってしまったのでこの辺でやめておくが、さらなる「駒」に関する詳細は折に触れ述べていきたいと思う。
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ふりだし
生老病死,そのすべてが苦しみである。

かつて仏陀はそう言ったそうな。
つまり老衰病気そしてという、誰の目にも明らかな苦しみと同列に“”というものを置いているのである。生きるということはそれだけで辛く苦しいのである。仏陀が言うんだから間違いはねーんじゃねーかと私は思う。

宗教を語る気は毛頭ない。いわんや哲学ををやである。

仏陀曰く、生きるということは万人にとって困難なのである。当然ながら私にとっても困難であった。齢30にしてそれまで積み上げたもののすべてを失った。明日を信じる希望を失った。

だがしかしである。どっこい私は生きているのである。日本は沈没していないのである。以外にも石油はいまだ枯渇しておらず、第3次世界大戦も勃発してはいないのである。メンバーは全員入れ替わったがモーニング娘。はいまだ健在なんである。

人生というスゴロクはやり直しがきかない、と人は言う。これまでゆるやかながらも着実に進んできた私の人生スゴロクは太平洋の彼方に沈んでしまった。だったら今私が踏みしめているこの大地は一体なんなのであろうか?

言わずもがな、私の新しいスゴロクはすでに始まっているのである。

全国に数多いるであろう夢に頓挫した諸君。私は同志である。人生のすべてを賭け、貫いてきた気持ちが折れたとき、人は立ち上がることが出来ないほどに打ちひしがれる。分かる。皆さんの気持ちは痛いほど分かる。だが我々はまだ生きているである。それは生きる理由があるからに他ならないのだと私は信ずる。


無職である。独身である。手に職もなければコネもなく、当然貯金もないのである。夢や希望の炎はいまだ灯らず、なぜか下痢も止まらないんである。

だがしかし、私はもう一度立ち上がってみようと思う。考えて見れば私はまだ若いのである。30歳といえばかつては“中年”の始まりであっただろうが、私の生命線は異常に長く手の甲までくっきりと続いている。私見では150歳くらいまでは楽に生きそうなのである。つまり私の人生はいまだ全体の5分の1を過ぎただけに過ぎない。人生の5分の1と言えば、まだまだ若造である。若造が勝手に諦めていいほど両親にいただいたこの命は軽々しいものではないに違いない。

本ブログの読者の皆さんはスゴロクのプレイヤーである。プレイヤーと言っても自由に駒を進めることは出来ない。皆さんが出来るのは駒である私を見守ることだけである。だが自信を持って言う。きっとこれから私がたどる道筋は面白いに違いないんである。楽しいこととは、辛いこと苦しいことの裏返し。いまや何者でもない私という人間のリアルなスゴロクは爆笑の連続であること請け合いである。

ならばせいぜい笑い飛ばしておくんなせえ。したっけ、首尾よく立ち上がることが出来ましたならば、もう一度私が太平洋を飛び越えるほどの拍手喝采をば、よろしくお願いいたしやす。


人生スゴロク始まり始まりー!
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