無職である、独身である。人生何度目かのスゴロクは始まったばかり。見ていきなせぇ笑いなせぇ。あきらめるのはまだ早い。 、、、の第二部 すっかり無職でなくなったおれっちの、右も左もわからねえ金融業界裸一貫進む様、とくとご覧あれ!
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スザンヌについて
スザンヌが好きである。

あの可憐な笑顔、そしてあのふんわりとした雰囲気。そしてそしてあの天衣無縫の天然っぷり。たまらんのである。彼女がテレビ画面に登場するだけで私の動悸ははやくなる。おそらく顔は赤くなり挙動も不審になっているであろう。一度でも彼女の顔を見れた日は幸せのまま就寝することが可能だが、一度もあの可憐な笑顔を見ることが出来なかった日は、意気消沈し、頭痛、発熱、勃起不全など、様々な症状を引き起こし、枕を涙でぬらすのである。

スザンヌが好きである


、、、ヨタを飛ばしている場合ではない。


前回、9月第3週の3連休、いかに私が寂しく孤独な日々を送ったかということを描写すると書いたが、日々の些事にかまけてサボっておったところ、気がつけばその次の週の3連休も過ぎ、9月が終わろうとしているのである。その間世間ではなんと贔屓の力士白鵬が優勝し、美しい国を作るはずだった首相は71歳のじいさまに代わった。安倍さんにしても福田さんにしても負けてしまった麻生さんにしてもそうなのだが、いったいいつからこの国のリーダーは世襲制になったのかと思う。
ま、本ブログは政治的な話を議論するブログではないので、その話はおいておく。

というわけで、すっかり日がたってしまったので3連休の話はやめにして、先週の就職活動についてお話しする。
私は現在いくつかの人材紹介会社に登録をしている。これには理由がある。求人広告というものは新聞なりネットなり雑誌なり、色んな媒体に数多くのせられているわけだが、30才で社会経験皆無という経歴が、その応募資格に該当することはなかなかない。自分ひとりで闇雲に履歴書を送っても面接までいたらず、お断りのメールが届くばかりである。そこで私は人材紹介会社に助力を頼ることにしたのである。人材紹介会社は依頼者の就職が決まって初めて収益が出る仕事なので、多少応募資格から外れていてもがんばって面接をさせてもらえるように計らってくれる。それでも私の30才経験無し資格なしという経歴は難しいらしく、そもそも紹介できる会社がないとお断りをしてくる紹介会社が5割。仮に仕事を請け負ってくれても書類選考で落とされること7割である。

私と同様の状況にある人がどれほどこのブログを読んでくれているかわからないが、はっきりいって厳しい状況であるとだけ伝えておく。おそらく31歳になればさらに状況は厳しくなるに違いない。

とか言いつつ本人はあまりあせってはいない。長い戦いになるであろう事は初めからわかっていたことである。あきらめず地道に就職活動を続けていくしかないのである。

先週は2つの面接に赴いた。感触としてはそれほど悪くはなかったが、はっきり言って生まれて初めての就職面接だったのでどういう印象を与えたのかよくわからない。

他にも紹介していただいた会社はあったがどうやらすべて書類選考でおちたようだ。面接にまで至らないこの状況は一体どうしたらいいのだろうか?どなたかいいアイディアがあったらお教えいただきたい。


それにしても、ああ、スザンヌはなんと可憐なのであろうか。
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3連休
連休も終わり、普通の皆さんはお仕事に戻ったと思う。とはいえ今週末にはまたも3連休が待っているわけで、長く国を売っていた私としては、“あれ、9月ってこんなに休みあったっけ?”と驚くばかりなのであるが、この3連休、皆さんはどうお過ごしになったのであろうか?

私は恐ろしく暇であった、、、

暇を暇と感ずるは肉体的にも精神的にも健康である証拠なので好意的に受け止める反面、やっぱり暇はつまらんのであった。そもそも約8年も日本にいなかった私は、当然のことながらその間日本には友達が増えてはおらずむしろその不在の年月に比例して減った。それはいたしかたのないことなのであるが、さらにその数少ない友人も年相応に忙しくなり、友人知人は増え、結婚し家族が出来ているのである。自然、貧乏なうえに暇を囲っている私の相手をしてくれる人間はほぼ皆無と言ってよいのである。
そんな私ではあるが、いつどんなときにでも誘ってよいという友人が数人いる(もちろんそのルールは私が自分で勝手に決めたルールなので当人達はおそらく迷惑しているに違いない)。
三連休を前にして私は、まあそのうちの誰かが遊んでくれるので平気であろうと高をくくっていた。

そんな私を最初に追い詰めたのは、最近彼氏ができ、極端にメールの数が減った友人であった。その友人からのメールによれば、この3連休は件の彼氏とその友達と共に2泊3日のキャンプに行くとの事であった。

はて、お前はその前の週もキャンプに行ったのではなかったか?

私は思ったが彼氏とのはじめての旅行、しかもその友達が一緒ということではつまり彼の友人達へのそれはお披露目に違いない。まさに万難を排して参加せねばならぬ、これは一種の儀式である。私は泣く泣く、頑張れよ、と友人に伝えた。

続いての友人は事もあろうにトルコへ旅行に行ってしまった。トルコではさまざまな遺跡を観て回るのだという。私も行ったことがないのに、、、うらやましくてねたましくて私は直前に連絡するのをやめた。

さらに続いて少々普通の人とは違う職業についている友人は、彼氏がいないのできっとこの3連休も一人暇しているにちげーねえと連絡してみれば、人とは違う職業柄、世間の3連休は3連勤であった。人とは違う職業は人々が休みの時こそ忙しいのであった。
忙しい人から見ると、暇だ暇だと騒いでいる無職の私はどううつるのだろうと、恥ずかしい気持ちになった。

最後の砦である友人は数年前に結婚してしまって若干誘いにくくなったが、背に腹はかえられねーとばかりに連絡を取ってみれば、なんと富山でフットサルとゴルフに興じていた。嫁さんを一人家に残し旅行なんぞしやがって。私はいっそ友人の嫁さんと不倫でもしちまおうかと思ったが、てめーには不倫するほどの甲斐性がねー事を思い出して暗澹となった。

バイトもなく、金もなく、遊んでくれる友人もない私は、この3連休、一人実家で悶々としていたのであった。

次回一人で過ごした3連休を無駄に描写する。
資格という名の剣 その2
昨日の続きである。
資格と取ると言っても一体どのような資格を取ればよいのか、これまで資格についてまるきり何も考えたことのない私にはさっぱりわからないのである。そこで私は早速近所の書店に赴き資格等のコーナーへと向かった。

そこで私はしばし呆然と佇んでしまった。世の中に資格の種類のなんと多いことか!しかも一種類の資格に対しての参考書の数たるや、、、私は途方にくれてしまった。私は感情の起伏が激しいたちなので、目の前に卒然と現れた資格という山の裾野のあまりの広大さに、その場にうずくまりしばし懊悩した。一体何から手をつけて良いのかわからない。かといってすっかりオッサンになった私に無償で優しく手ほどきをしてくれる暇な人間はいないのである。私は夕方の公園で夕食の迎えに来た母親に手を引かれて帰っていく友人達を見送り、たった一人ブランコの上で来るはずのない母親を待った幼少の頃を思い出し、孤独感の中に埋没しそうであった。

ふと、人の気配がして見上げると資格のコーナーの私のすぐそばに年のころなら20代中盤、長い髪からはかぐわしいシャンプーの香りを漂わせた若い頃の田中裕子を思わせる可憐な女性が左手の人差し指を唇に添えながら資格書籍の本棚にその大きな瞳を走らせていた。突然精気がみなぎった体を奮い起こすと、背筋を伸ばしてジュリーのような色っぽい流し目で私は話しかけた。

“資格の本って、なんだか種類が多くて困っちゃいますよね。”

女性は突然おっさんから話しかけられたにも関わらず、微笑を浮かべ、落ち着き払ってこう言った。

“いえ、私は目的がはっきりしていますから。”

そう言うと彼女はなんだかわからぬが広辞苑のごとき太さの参考書を軽々と棚から抜き出すと、大またで颯爽と去っていった。歩き去る彼女のケツはたいそう美しかった。

さてとにもかくにもヒントを与えられた私はまず主要な資格が総覧できる“資格全ガイド”なる本を購入した。目的がはっきりしないうちは数多の参考書の中から一冊を選び取ることは出来ないのである。方向性を定めるにはまず世の中にどんな資格があるのか知ることからはじめなくてはならぬ。
あの田中裕子はきっとふがいない私に手を差し伸べてきた天使に違いないと思った。
今晩はこの“資格全ガイド”なる書籍を精読いたしたいと思う。

ドラクエに見る現実世界 -資格という名の剣-
当然予想はしていたが、色々と調べていくうちにその予想をはるかに上回る厳しい現実が見えてきた。
30歳資格なし職歴なしで就職するのは初心者がチョモランマの頂を目指すがごとく無謀であるようなのだ。
しかし例え無謀であろうとなんであろうと私はやらなければならんのである。それにチョモランマ登山は死ぬかも知れねーが、就職への道はいかに厳しくとも死にはしねーんである。

話は変わる。

かつてドラゴンクエストという一世を風靡したコンピューターゲームがあった。現在でも人気の高い老舗のロールプレイングゲームである。第一作は私が幼少のみぎりに発売され瞬く間に日本中を席巻し、その影響力たるや子供たちの生活スタイルを著しく変化させてしまうほどであった。学校へ行けばゲームをどこまで進めたかが話題の中心であり、一番先へとゲームを進ませている者がまさに勇者のごとく称えられた。
ゲームの内容は高度に複雑化した21世紀ゲーム事情から見れば恐ろしく単純で、世界を暗黒に変えてしまう魔物の王竜王を倒すのが目的という単純なものであった。プレイヤーはゲームの中の勇者を操り、成長させ、世界に平和をもたらす役割を担っていた。
ゲームの初めの頃は貧弱な装備しか持たない勇者はつらく厳しい旅を経験するうちに時にはお金で、時には魔物から、時には宝箱から選りすぐりの武器防具を手に入れ、経験値により成長するレベルとは別に強くなっていく。
最後の敵である竜王はとても強いので、世界最強の武具を装備したものでなければ倒せないように思われるが、実のところ初期装備でも経験さえ積んで最強レベルになっていれば、竜王は倒せるのである。もちろん逆もしかりで装備さえ最強であれば,少々経験不足でも竜王を討伐することは可能である。竜王を倒すとめでたくお姫様と結婚できるストーリーは、少年が永遠に愛する勧善懲悪ストーリーの王道である。

ここで話を現実社会に戻す。今の話はそのまま現実社会に置き換えることは出来まいか。つまり武器防具=資格、そして経験値(レベル)はそのまま職務経験である。
この二つと、燃え尽きぬ情熱さえあればいかに厳しい現実とはいえ乗り切っていけるのではないか。

さて自分に置き換えてみよう。私には現在のところ燃え尽きぬ情熱などはっきり言ってない。燃えさかる情熱を傾けるべき夢を、私はアメリカに置いてきてしまったのである。しかしながらそれを取り戻す、または新しい夢を探すという新たな情熱はかすかに燃え上がり始めている。なのでそれはそれでよしとする。矛先さえ見つかれば私はまた激しく情熱を燃やすことであろう。
次に武器防具と経験値について考えてみる。

、、、

皆さんご存知のとおり考えてみるまでもなくどちらもゼロである。
だがここで諦めてしまっては竜王は倒せないのである。竜王を倒せないということはお姫様とも結ばれないのである。今のままではお見合いパーティーに参加する資格もないのである。お姫様どころか侍女と会話することすらかなわないのである。それではいかにも寂しい。なのでもう少し突っ込んで考えてみよう。経験値を上げることははっきり言って難しい。何せ職について初めて経験値を稼げるのである。浪人中レベルアップすることは残念ながら不可能に近い。では武器防具はどうか。これは何とかなりそうだ。やる気と少々のお金さえあれば多少の装備は整えられそうである。少なくとも素っ裸で就職試験という魔物に立ち向かうべきでないのは自明の理である。

というわけで私は資格を取得するために少々努力してみようと思う。

一歩進む その2
私は人に物を教えるのが好きである。なんとなれば偉そうな態度をとっても怒られないからである。私は経済力も社会的地位も伴侶も持たず人間的にも優れているわけではないので全く偉くはない。偉くはないので仕方なく偉そうにするしかないのである。しかしながら無根拠に偉そうにしている人間はえてして嫌われる。私は偉そうにはしたいが嫌われたくはないので自ずとそのようにしていても嫌われることのない立場をとりたがる。そういう目的を満たしてくれてしかも私にとって手っ取り早いのが“物を教える”という立場なのである。
私はそういう矮小な器の持ち主であるので、これを読んでいる2,3の実際の私の生徒にはもしかすると逃げられてしまうかもしれないが、こうして赤裸々に語ってしまう正直さを考慮して笑って許して欲しいと願う。ほんとに願う。

英会話の講師といっても大手はたいてい外人しか雇ってはいない。たまに日本人講師を雇っているところもあるが、それも“豊富な経験”の持ち主しか雇っていない。またしても私の社会復帰を阻むものは“経験”であった。こればっかりはいかんともしがたい。面接官のオヤジに、“働いた経験はないけれども、女性の経験だったらあんたの100倍はあるんでぃ!バッキャロー”と叫んだところで“出口はあちらです”などといなせに扱われるのがオチなので、生徒は手前ぇで探すことにした。
その際私は世間の英会話教室の授業料の相場をリサーチし、どこよりも安い金額を設定した。経験もコネも教室もない私にはそうするしかないのであった。
会う人会う人に“英会話やらない?”“英語しゃべりたくない?”“外人の彼女欲しくない?”と言ってまわったところ、生徒は意外にもあっさり見つかった。こういう場合の私は節操がない。知り合いにはその知り合いにも訪ねてもらい、近所の人にも勧誘してまわり、友人の親をも勧誘し、しまいには散歩中の犬や昼寝中の猫にまで勧誘をおこなった。単価が安い分たくさん働かなければいかんのである。
だがあまりに授業料を安く設定してしまったがために、正直あまりまとまったお金にはならない。おそらくこの先英会話講師は趣味になっていくであろうと思う。だが偉くない私は定期的に偉そうにはしていたいのでやめることはない。

またもや大きく回り道をしてきたが、本題に入る。その2も終盤になって本題に入るという計画性のなさは、もはや私の属性であるのであまり突っ込まないで欲しい。
めでたく“消極的ニート”からバイト君になった私だが、それでは全然生活していくに十分なお金は稼げないのである。これから本格化する就職活動にだって、それなりにお金はかかるのである。

やはりもっと安定したバイトをせねばなるまいな。
そう考えた私はこれまた唯一学生時代のバイト歴が生かせそうなアルバイト、つまり塾の講師のバイトを探した。私は若い頃、暴走族のニーチャンたちと道路工事をする傍ら、学習塾で小学生を爆笑させ、家庭教師として高校生の母堂を誘惑していたのであった。

いそいそと真新しいスーツに身を包み学習塾の面接に向かったのは、台風の傷跡残る金曜日の昼下がりであった。
面接の模様は大して面白くないので省くが、採用の電話が来たのが昨日。私ははれて少々まともなバイトの職を得たのである。しかしながら依然として生活にかかるすべてをまかないきることは出来ないので、私独自の解釈に基づき今だ“フリーター”を名乗ることは出来ない。しかしながら以前のバイト君よりは随分とましになるのはたしかなので今日から私は、サイヤ人ならぬ“バイト君2”を名乗ることにする。

スゴロク盤上でも久しぶりに一歩進んだと見てよいのではないかと思うが、どうだろう?

一歩進む その1
先日の台風はすごかった。いっそ凶暴とでも言うべき勢力の台風であった。関東地方では大方の予想に反し上陸後は少々速度を上げ、金曜日の朝には都内は暴風域からは脱したようだが強い風は夕方まで続いた。
前日の夜中の窓の外から聞こえていた恐ろしい風の音は、まるでこれから私が立ち向かう世間の風を象徴しているように思えて、ただでさえ折れやすい私の心は不安でいっぱいになり、深い眠りに落ちることが出来なかった。

さて、先日お伝えしたとおり現在私はブログ開設当初の“ニートマン”という自虐的なペンネームを返上し、“バイト君”を名乗っている。なぜ“フリーター”という名称を使わないかといえば、そこには私の中での確固たる、及びまこと勝手なる名称の定義に対する解釈が存在するからに他ならない。

気付いたらずいぶん時間経ってしまったので、黙ったまま通り過ぎてしまったが、私の中では“ニート”という呼称の中にも二つのタイプの解釈をしている。すなわち消極的ニートと積極的ニートである。
少々誤解を招きやすい解釈だが、どこにでもいる所詮小市民である私の勝手な解釈なのでお許しいただきたい。
以下私自身をモデルにそれぞれを簡単に説明する。

ブログ開設当初の私は“積極的ニート”であった。消極的ではないのかと考える読者の方。ここが誤解を招きやすいところだが、当初の私は、スゴロクを進まねばならない、と口では言っていたが心のうちはすべてに絶望をしたままの自分を思い切り引きずっており、積極的に死のうとは思っていなかったが生きることにはすこぶる消極的であった。つまり何事もどうでもよいという投げやりな気持ちが間接的には“積極的”にニートでいることを支援していたといえる。
意識の有無に関わらずニートであることを自ら選択していた当初の私は“積極的ニート”であった。
ところが帰国時の痩せさらばえた体が回復し、食事を上手いと感じ、夜しっかり眠れるようになるにつれて、徐々にではあるが自らの未来について考えをめぐらすようになって来た。以前目の前は暗闇に包まれてはいたが、それを打ち払うことが出来るのは、たとえ何も持っていないとしても、自分しかいないのだという現実を受け入れ始めたのである。その時点で私は少なくとも現状からの脱却を模索し始めたのであり、私はニートでいることに消極的になり始めていた、つまり“消極的ニート”になっていたのである。

説明の下手くそな私は常に無駄に文章が長くなってしまうわけだが、つまりはそういうわけである。

さて、消極的なニートはニートでいることを良しとはしていないので仕事を探している。ニートでいることには消極的になっていた私だが、かといって仕事探しやバイト探しには臆病になっていた。何しろ職歴がないのである。そんな私が手っ取り早くできるコトといったら、現在唯一の私の武器と言っていい、英語を使うことであった。
ネイティブの日本人である私は日本語が堪能である。しかしながら日本語を勉強したいという外人を探すのは難しい。だが英語を勉強したいという日本人は結構いるのである。やりたいけど行動にはうつしていないという人は実のところ誰の周りにも5人に一人くらいはいるのである。


しまった、、、
うそをつけ!と思われるかもしれないが私は一話につきフォントサイズ12でWORD一ページに収めたいのである。そのつもりで毎回書いているのである。にもかかわらず今回はタイトルの内容に全く触れないうちに一ページを超えてしまった。無駄な文章が多くさぞ読みにくいことと思う。努力はしているつもりなのでそのうち完結かつわかりやすいエッセイになる(かもしれない)ので気長にお付き合いいただきたい。
というわけで

つづく。
でもそんなの関係ねえ
やっぱりやめた。

確か昨日はゆっくり病気を治すようなこと言っていたような気がする。

が、撤回する。

はっきり言って暇である。しかもいかに体力が落ちているとはいえ、咳以外は健康なのである。その咳だって薬飲んでいる間はかなりおさえられるのである。

遊びたい。女にもてたいわけではない。いやもてたらそれはそれでいいけど、そんなことより遊びの計画が私の頭の中では溢れんばかりなのである。
しかし遊べない、、、なぜなら金がないから。

そういえば言うのを忘れていたが私は現在英会話の講師をしているので既にニートマンではない。かといってフリーターの名乗れるほどたくさん稼いでいるわけではないので、今日からニートマン改めバイト君と名乗ることにする。読者の中に都内にお住まいで、格安で楽しく英会話をはじめたい、はじめたいけど外人は怖いという方がいらっしゃいましたら下記のアドレスまでご連絡ください。楽しく優しく英会話教えます。ただし18歳以上の男子女子、またはその中間の方に限ります。子供はだめよ。

itsmylife3548@yahoo.co.jp

話は戻して、金がなければ遊べない。金を得るにはやはり就職しなければならないのである。

もう辛抱たまらん。私はやっぱり東京に帰る。そして来週辺りから本格的に就職活動をはじめようと思う。

ただし咳が悪化するのはやっぱりいやなので医者の処方どおり薬を服用し、栄養の摂取に努め、適度の運動をした上での就職活動となる。はたして、、、
体力と免疫力
一回休みでお話したように、呼吸器の病気が意外にも重病だったため、帰国直後に転地治療をおこなっていたとある漁村のとある庵に舞い戻ってきている。

暇なんである。そりゃ呼吸器は患っているかもしれないが体のほかの部分はすこぶる健康なのである。

はやく病気を治さねばと気ばかりあせるが、あせっても仕方がないので医者の処方どおり薬を服用し、呼吸器の強化と体力及び免疫力向上のため適度の運動を欠かさず、栄養の摂取に努め、十分な睡眠をとることを心がけている。
そのおかげかどうかはわからないが、最近症状は驚くほど軽くなった。しかしこういうときこそ更なる用心が肝心である。たまさかの小康状態を完治と見誤り、インフルエンザがぶり返して入院した友人を私は知っている。私ももともとそういう用心のたらぬお祭り男なので、ここは心を鬼にして遊びに出かけぬようにしなければならない。

最近病気の話ばかりになってしまうが、私は去年の夏まで人後に落ちぬ体力の持ち主であった。現在の呼吸器の疾患は当時すでに発症していたが、おそらく並外れた体力とそれに伴う強靭な免疫力が症状の悪化を防いでいたに違いない。しかしながら2007年初頭のノイローゼ生活であっという間に体力は減退し、体重や見かけは往時に戻ったかに見える現在の私の体力は、今だほとんど回復していないのである。先日5キロジョギングのタイムを試しに計ってみて図らずもそれが露見したのであった。

去年の夏私は5キロのジョギング大会に出場していた。当時の私のタイムは26分。実を言うとこれは相当に遅い。5000メートルの日本記録は確か12分とか13分とかだから、ぶっちぎりに遅いわけだが、当時ペース配分とかも良くわからなかった初心者の私はレース後もてんで疲れてはおらずまだまだ早く走る自信はたっぷりとあった。
転地療養地に戻ってきた私は暇に任せてためしにどれだけ体力が落ちたかを測る指針として5キロのタイムを図ってみることにしたのである。走る前の予想は

30分ぐらいだったらまあいいかな

であった。しかし現実は残酷であった。
はっきり言って2キロ過ぎあたりでもうやめたくなった。足が前に進まないのである。それでも私は走り続けた。2キロでやめてしまっては小学校のときの自分よりひどい。私はまだ女性を知らなかった無垢な過去の自分を思い浮かべながら走った。3キロ過ぎ、もう死ぬ、と思った。心臓が破裂するかと思った。傍から見れば歩くより若干遅いスピードでゼイゼイと喘ぎながら走る私はさぞ滑稽だったに違いない。このとき中学校の陸上大会で女子の部で優勝した初恋の人を思い浮かべながら走った。4キロ過ぎ、もはや24時間テレビの欽ちゃんよりも遅いスピードで、なぜ俺は走っているのだ、なぜ俺は生きているのだ、と、一人哲学をしていた。このままでは走ることの意味を見出せず止まってしまうと思い、密かに想いを寄せる8人の女性の姿を思い浮かべて頑張った。

結果は私をしばしの絶望に追い込んだ。

42分であった。

しかも以前はゴール後もへっちゃらだったのに、今の私は走りきった後一歩も動けぬほど疲労困憊していた。
年齢のせいにはしたくない。だが5キロ42分という記録は下手するとそこらのジイサンバアサンよりも遅いのである。

しかし今の私はこれを前向きに受け取るだけの気力を回復させているであった。さすがにここまで遅い自分にはがっかりであったが、ここからある程度までは体力は向上していく一方に決まっているから、きっとこれからの計測は楽しいに違いないのである。

病気の回復と共に5キロ26分は私の新たな具体的な目標となった。
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