無職である、独身である。人生何度目かのスゴロクは始まったばかり。見ていきなせぇ笑いなせぇ。あきらめるのはまだ早い。 、、、の第二部 すっかり無職でなくなったおれっちの、右も左もわからねえ金融業界裸一貫進む様、とくとご覧あれ!
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体力と免疫力
一回休みでお話したように、呼吸器の病気が意外にも重病だったため、帰国直後に転地治療をおこなっていたとある漁村のとある庵に舞い戻ってきている。

暇なんである。そりゃ呼吸器は患っているかもしれないが体のほかの部分はすこぶる健康なのである。

はやく病気を治さねばと気ばかりあせるが、あせっても仕方がないので医者の処方どおり薬を服用し、呼吸器の強化と体力及び免疫力向上のため適度の運動を欠かさず、栄養の摂取に努め、十分な睡眠をとることを心がけている。
そのおかげかどうかはわからないが、最近症状は驚くほど軽くなった。しかしこういうときこそ更なる用心が肝心である。たまさかの小康状態を完治と見誤り、インフルエンザがぶり返して入院した友人を私は知っている。私ももともとそういう用心のたらぬお祭り男なので、ここは心を鬼にして遊びに出かけぬようにしなければならない。

最近病気の話ばかりになってしまうが、私は去年の夏まで人後に落ちぬ体力の持ち主であった。現在の呼吸器の疾患は当時すでに発症していたが、おそらく並外れた体力とそれに伴う強靭な免疫力が症状の悪化を防いでいたに違いない。しかしながら2007年初頭のノイローゼ生活であっという間に体力は減退し、体重や見かけは往時に戻ったかに見える現在の私の体力は、今だほとんど回復していないのである。先日5キロジョギングのタイムを試しに計ってみて図らずもそれが露見したのであった。

去年の夏私は5キロのジョギング大会に出場していた。当時の私のタイムは26分。実を言うとこれは相当に遅い。5000メートルの日本記録は確か12分とか13分とかだから、ぶっちぎりに遅いわけだが、当時ペース配分とかも良くわからなかった初心者の私はレース後もてんで疲れてはおらずまだまだ早く走る自信はたっぷりとあった。
転地療養地に戻ってきた私は暇に任せてためしにどれだけ体力が落ちたかを測る指針として5キロのタイムを図ってみることにしたのである。走る前の予想は

30分ぐらいだったらまあいいかな

であった。しかし現実は残酷であった。
はっきり言って2キロ過ぎあたりでもうやめたくなった。足が前に進まないのである。それでも私は走り続けた。2キロでやめてしまっては小学校のときの自分よりひどい。私はまだ女性を知らなかった無垢な過去の自分を思い浮かべながら走った。3キロ過ぎ、もう死ぬ、と思った。心臓が破裂するかと思った。傍から見れば歩くより若干遅いスピードでゼイゼイと喘ぎながら走る私はさぞ滑稽だったに違いない。このとき中学校の陸上大会で女子の部で優勝した初恋の人を思い浮かべながら走った。4キロ過ぎ、もはや24時間テレビの欽ちゃんよりも遅いスピードで、なぜ俺は走っているのだ、なぜ俺は生きているのだ、と、一人哲学をしていた。このままでは走ることの意味を見出せず止まってしまうと思い、密かに想いを寄せる8人の女性の姿を思い浮かべて頑張った。

結果は私をしばしの絶望に追い込んだ。

42分であった。

しかも以前はゴール後もへっちゃらだったのに、今の私は走りきった後一歩も動けぬほど疲労困憊していた。
年齢のせいにはしたくない。だが5キロ42分という記録は下手するとそこらのジイサンバアサンよりも遅いのである。

しかし今の私はこれを前向きに受け取るだけの気力を回復させているであった。さすがにここまで遅い自分にはがっかりであったが、ここからある程度までは体力は向上していく一方に決まっているから、きっとこれからの計測は楽しいに違いないのである。

病気の回復と共に5キロ26分は私の新たな具体的な目標となった。
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