無職である、独身である。人生何度目かのスゴロクは始まったばかり。見ていきなせぇ笑いなせぇ。あきらめるのはまだ早い。 、、、の第二部 すっかり無職でなくなったおれっちの、右も左もわからねえ金融業界裸一貫進む様、とくとご覧あれ!
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アートな週末 その2
私はオカマではないが乙女である。

私という人間は大きく分けて2つの人格に分けることが出来る。一人は普段表に出ている男の私である。生物学的な構造上の私は青春時代、男しかおらぬ学校、男しかおらぬバイト先、そして男しかおらぬ趣味の世界で形成された、まさに腕力だけが物を言うぶっちぎりの”漢”の世界で生きてきた。当然そこで生き抜くためには強い男でいなければならず、体はけして大きくは無いが一般的な同世代に比べるとかなり頑強である。
一方もう一人の私は幼少より野花を愛し、チョコレートケーキに心躍らせる乙女であった。愛読書は赤毛のアンと若草物語であり、一人の時間はめくるめく空想に胸を膨らませて過ごしていたのであった。
つまり生来は乙女の資質が高かったが、青春時代ぶっちぎりの”漢”の世界を行く抜くために形成された男の部分がその乙女な私を覆い隠していたのだが、今や無理に男を主張して生きる必要は無くなったので心の奥深くにひっそりと隠れていた乙女な私が発露することが多くなってきているのである。ただし誤解の無いように言っておくが、幸か不幸か私はオカマでもゲイでもない。せめてバイセクシャルであれば恋愛対象がいきなり倍に膨れ上がり恋人もできようというものだが、残念ながら女性しか愛せない。乙女な私も女性が好きなのだから、考えようによっては精神的バイセクシャルなのかもしれないが、その議論はあまりに深いので今回は置いておく。

さて私は先週の金曜日、いつでも呼んで良い友人の一人を伴い、もといその友人に箱根へ連れて行ってもらった。なんとなればある化粧品会社の会長の個人的な収拾物を展示した美術館で私の大好きな印象派の特別展を開催していたからである。
高校時代に絵画に目覚めた私であったが、それから10数年たった今も抽象画はわからない。リアリズムに傾倒するわけではないが、私の凡庸なる感性ではある程度視覚的なリアルさを伴っていなければ感情を傾けることが出来ないのである。又似たような理由でルネッサンス時代の宗教画の類はあまりも壮大すぎて直接心に届かない。こちらの主題は抽象画に比べると理解しやすいが、いかんせん現実感が伴わない。身も心も小市民である私には日常のちょっとした風景などを何気なく描いた作品こそ心の琴線に触れるものなのである。
当日見た絵画のすべての感想を述べると、このブログの方向性がわからなくなるので、絵画の感想についてはほんの少しだけにしておく。当美術館で私がもっとも心魅かれた作品はやはりモネの「散歩」という作品であった。3人の男女が日差しの中ただ散歩しているという、ただそれだけの作品だ。
モネの作品はなぜここまで私をひきつけるのか。私はこう考えている。モネの作品はモネだけに見えているものを描いているのではない。彼は誰もが見ている世界の美しさを、誰もが知っている世界の美しさを、ただキャンパスの上に再現しているだけなのだ。
ジブリ作品に「紅の豚」という作品がある。その作品の登場人物フィオの台詞にこんな一言がある。

綺麗、世界って本当に綺麗。

私はこの一言をもって「紅の豚」を絶賛したい。
世界は美しいのである。だが残念なことにその美しい世界は刻一刻とうつりゆき、2度と同じ姿を見せることは無い。普通の人間が絵画や写真などに自分が感動したその景色を収めようとしても、たいていの場合は失敗するのだ。
何が言いたいかと言えば、つまりモネの素晴らしさはそういった切り取ることの難しいありのままの世界の美しさをキャンパスの中に再現している点ではないか、と私は思う。また誰もが知っている美しさゆえに彼の作品は総じて「わかりやすい」のだ。私のような粗野な人間にもわかる美しさを備えているのだ。
世界のどこにでもある「散歩」の風景。そこから得られる感動は、世界の美しさを再認識させてくれる。




さて、お気づきのようにまたもはじめに書いていた事と内容がずれて、そして長くなってきたので、続きは明日に。どうして私はこう集中力散漫で完結力に乏しいのであろうか、、、
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アートな週末
私は東京下町生まれの、生来が租にして野なる人物なので、そもそもアートとは無縁である。貧乏人の両親はピカソを知らず、アントニオ猪木は芸術家とも戦ったと本気で思っていた。あろうことかモハメド・アリとサルバドール・ダリを混同していたのだった。そんな両親に育てられた私は当然のごとく幼少のみぎりより、芸術なんざーお大尽の暇つぶしじゃねーか。クソの役にもたちゃしねー、と図工の時間はもっぱら睡眠に当てていた。
そんな私であったが高校3年の時にお付き合いしていた女性によってそれまで未知の物であった芸術への端緒を開かれたのであった。
忘れもしない彼女との2回目のデートは、今はなき新宿三越美術館にて開催されていた“宮沢賢治展”であった。絵画や彫刻といった芸術には何の興味も持っていなかったが文字を使った芸術、つまり文学には唯一多少の興味を抱いていた。銀河鉄道の夜は大便の友であり、風の又三郎は通学の友であった。
宮沢賢治が特別好きだったわけではないが、言葉による表現者をすべからく尊敬していた私は、まあ行ってやってもいい、くらいの気持ちで出かけたのであった。

宮沢賢治は詩人であり、小説家であり、農業指導者である。そんな彼の展覧会とは果たしてなんであろうか?まさか彼が使っていた農機具の展示会ではあるまい。新宿駅を降りた私は疑問に思っていた。文学者の展覧会といえば、展示物は当人の手稿であったり、幼き日の写真であったりと、完全なるマニアにしか受けないのが定石である。何しろ手稿は大抵汚いか古いかいずれかの理由でほとんど読めず、見た目で名が売れたわけではない文学者の若い頃の写真なんて見ても嬉しくもクソも無いのである。行ってみる気にはなったものの、はっきり言って期待はまったくしていなかった。

人生とはまこと期待通りにはいかないものである。

美術館に入って5分もしないうちに私は静かなる興奮に包まれていたのであった。展示物は宮沢賢治の作品をモチーフにした絵画や彫刻を初めとする、多種多様な表現方法を用いた芸術作品群であった。どの作品もが宮沢賢治の世界への愛を感じさせる作品であった。中でも特に私の心を打ったのは銀河鉄道の夜をモチーフとした絵画であった。我々世代の多くは少年時代に公開されたアニメ版の銀河鉄道の夜に影響を受けていて、頭の中で物語を想像するとどうしても登場人物が猫になってしまうことがある。だがその影響を、そのときの展示物は払拭してくれたのだ。
おんなじシーンを表現しても、これほどにまで異なる解釈が出来るのか、と私は感嘆せずにはいられなかった。
このときの感動を言葉で表すことが出来るほど私は文章力に長けてはいない。だがその時つないでいた彼女の手を、思わず彼女が振り解かなければならないほど無意識に強く握ってしまっていたことを思い出す。
この時の宮沢賢治展が私の芸術に対する、いやその後の10数年間を決定付けてしまったのかもしれない。



、、、ここまで読んでまたもややってしまったという気持ちになってしまった。先週末の話をするつもりがいつの間にか高校時代の思い出話になってしまった。悪い癖である。明日続きを書く。
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