無職である、独身である。人生何度目かのスゴロクは始まったばかり。見ていきなせぇ笑いなせぇ。あきらめるのはまだ早い。 、、、の第二部 すっかり無職でなくなったおれっちの、右も左もわからねえ金融業界裸一貫進む様、とくとご覧あれ!
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1回休み その1
咳が止まらない。

帰国して以来体中のあらゆる部位について検査をし、必要とあらば治療してきたわけだが、どういうわけか咳だけが止まらない。

実はこの咳、発症したのは3年以上も前になる。
当時私は雪深い北国に居を構えていた。11月には雪が降り始め、翌年の5月あたりまで、毎日毎日雪が降り続く極寒の地である。3年前の冬、慢性的に栄養と睡眠が足りていなかった私はインフルエンザに感染した。40℃近い熱にうなされる日が何日も続いた。インフルエンザは初体験であった。高熱は私にしばしば悪夢を見せた。こういうとき一人暮らしは辛い。このまま死んでしまうのではないかと何度も思った。志半ばにして遠い異国の地で先立つ不幸を両親にわびながら、同時に八人の女性の名前を唱え一人一人に愛しているとつぶやき、しかる後、下痢のため脱糞した。
そんなこんなでベッドの上をのたうちまわること5日、ようやく熱も下がり件の八人に、久しぶりに電話でもかけてみるべいと携帯を手にしてはじめて気がついたのである。

咳が止まらず電話どころではなかった。何しろ一分に一回は咳き込んでしまうのである。これは由々しき問題であった。
当時私は大学で教鞭をとっており、咳が出て会話が出来ないということは仕事にならないということであった。仕事にならないということはおマンマの食い上げであり、それはつまり経済的理由により強制帰国を意味していた。
インフルエンザですら医者に行かなかった私は、咳のため仕方なく医者に行くことにした。
医者は症状を聞くとすぐに咳止めを出し、マスクをするようにと私に言った。私は処方どおり咳止めを飲んだが、症状はさほどよくならず、緩やかに良くなってはいったものの、その咳はその後なんと3年の間続いていくことにある。

今年に入り、心の病発症とともにずいぶんと良くなっていたはずの咳は再び悪化した。そのまま帰国した私は心の症状の改善と共に咳も収まっていくだろうと高をくくっていたのだが、なぜか咳は止まらなかった。

帰国以来いくつかの病院に通い、胸部レントゲン、血液検査、CTなどさまざまな検査をおこなったが、原因は不明のまま医者は、

“ま、とりあえずお薬だしときますねー。また2週間後に来てくださーい。”

などと言ってお茶を濁すばかりであった。とりあえずとはなんだ、とりあえずとは。私は常に憤慨していた。

不幸にも咳は止まらず月日ばかりが過ぎていった。

そこに登場するのが以前にも出てきた臨床心理士の友人である。彼女は才能豊かであるばかりでなく弱者に心を砕くことの出来る天使のごとき人物なのである。
そんな彼女が私の体を案じ、恐ろしく長いメールと共に送ってくれたのが、日本咳そう研究会に所属する咳の専門医のリストであった。
やはり頼るべきは友人なのであった。
常々思うがなぜ私の友人は無償で私を助けてくれるのであろうか?私は友人達に何にもしてはいないのに、、、頭が下がるばかりである。

話は脱線するがつい先日も友人二人と転地療養していた庵から程近い海へ行った。普通に考えると2分に一回は咳き込み、会話がスムーズにいかない私となんかいっしょにいるのは、すこぶる不快であろうと思う。何しろ両親すら不快な顔をする頻度で私は咳をするのである。にもかかわらずこの友人二人は不快な顔一つせず、とても楽しい休日をありがとう、なんて言ってくれちゃったりするのである。おそらく彼らの中身は天使であろうと思う。

さてそういうわけで頼りになる友人が送ってくれたリストを元に私は専門医に見てもらうために病院へ行ったのである。

つづく
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ソリューションと30代,40代の転職
ソリューションとは、「解答、解決」という意味で、主にIT(情報通信)技術を応用して企業が抱える問題を解決、抜本的な効率化を図ることをいう http://daring2.misterblackband.com/
2008/11/23(日) 13:11:46 | URL | #-[ 編集]
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