無職である、独身である。人生何度目かのスゴロクは始まったばかり。見ていきなせぇ笑いなせぇ。あきらめるのはまだ早い。 、、、の第二部 すっかり無職でなくなったおれっちの、右も左もわからねえ金融業界裸一貫進む様、とくとご覧あれ!
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人材紹介会社
どうやら人材紹介会社というものは世の中にずいぶんたくさんあるようだ。

私はその中でもいわゆる大手と呼ばれるいくつかの人材紹介会社に紹介を拒否されてしまった。しかしそれも人材紹介会社のシステムを考えれば、もっともであると言わざるを得ない。

そもそも人材紹介会社というものは私のように職を求めている人間の就職、(主に転職だが)を手助けする仕事をしている。彼らは求職者の能力や要望に合った求人をおこなっている会社を求職者に紹介し、求職者がその求人に応募したいと言えば推薦状をつけて求人をおこなっている会社に代行して応募してくれる。彼らは求職者からは一切料金を取らず、就職が決定して初めて求人をおこなっている会社から報酬をもらうシステムになっている。つまり求職者の就職が決まらぬ限り彼らはまったくのただ働きとなってしまうため、結構一生懸命に私のような求職者のために職を探してくれるのである。

さて、ではなぜ大手は私の依頼を断るのか?簡単である。大手の人材紹介会社は、大手であるがゆえに求職者からの依頼は数多い。会社の利益率を上げるためには出来る限りただ働きをする時間を減らさなくてはいけないから、私のように適切な仕事を見つけてやるために時間がかかりそうな人物は初めからお断りするのである。会社が営利団体である以上、これはいたしかたのないことであろう。反対に小さな人材紹介会社は依頼者の数も少ないため、選り好みは出来ず、私のような難しい求職者であっても、一応依頼を受けてくれるのである。

果たして私は小さな人材紹介会社にいくつか登録し、いわゆる大手の人材紹介会社に一つ登録をしている。ここで面白い事実がある。大手の紹介会社の私の担当者は若者であるが、小さな紹介会社はみな年配の方である。
偶然であるかも知れぬ。しかしここは私のたくましき妄想力でもって、この事実を勝手に推察するとこうなる。

大手で私を断らずに受け入れてくれたのはたった1社であった。そこでの私の担当者は明らかに新入社員と思しき方であった。つまりこの会社は私のような難しい求職者をこの新入社員にあてがうことで経験を積ませようというのではないか?無資格無経験30歳の私は、だめでもともとなのである。営利目的だけで言えばお断りする私はだめもとの難しい案件として新入社員教育にちょうどいいのではないだろうか?
反対に小さな紹介会社は依頼者の選り好みをしては商売にならない。おそらく引き受ける依頼の中でも抜きん出て利益を出すのが難しいと思われる私のような案件は海千山千のベテランに割り当て、なんとしてでも就職させ利益を出そうとしなければならないのではないか?

すべては私の妄想である。なんとなれば今週は一つも面接の予定がないのである。あるはずであった面接は書類選考の段階ですべて落ちてしまった。
暇である。はっきり言って暇である。暇すぎてくだらぬ妄想が膨らむばかりなのである。日中は就職活動に備えて空けてあるのである。夕方からのバイトまではまだまだ時間があるのである。

嗚呼、はやくどこかの懐の広い社長が私に働く機会を与えてくれないだろうか?

切に願う。
一歩進む その2
私は人に物を教えるのが好きである。なんとなれば偉そうな態度をとっても怒られないからである。私は経済力も社会的地位も伴侶も持たず人間的にも優れているわけではないので全く偉くはない。偉くはないので仕方なく偉そうにするしかないのである。しかしながら無根拠に偉そうにしている人間はえてして嫌われる。私は偉そうにはしたいが嫌われたくはないので自ずとそのようにしていても嫌われることのない立場をとりたがる。そういう目的を満たしてくれてしかも私にとって手っ取り早いのが“物を教える”という立場なのである。
私はそういう矮小な器の持ち主であるので、これを読んでいる2,3の実際の私の生徒にはもしかすると逃げられてしまうかもしれないが、こうして赤裸々に語ってしまう正直さを考慮して笑って許して欲しいと願う。ほんとに願う。

英会話の講師といっても大手はたいてい外人しか雇ってはいない。たまに日本人講師を雇っているところもあるが、それも“豊富な経験”の持ち主しか雇っていない。またしても私の社会復帰を阻むものは“経験”であった。こればっかりはいかんともしがたい。面接官のオヤジに、“働いた経験はないけれども、女性の経験だったらあんたの100倍はあるんでぃ!バッキャロー”と叫んだところで“出口はあちらです”などといなせに扱われるのがオチなので、生徒は手前ぇで探すことにした。
その際私は世間の英会話教室の授業料の相場をリサーチし、どこよりも安い金額を設定した。経験もコネも教室もない私にはそうするしかないのであった。
会う人会う人に“英会話やらない?”“英語しゃべりたくない?”“外人の彼女欲しくない?”と言ってまわったところ、生徒は意外にもあっさり見つかった。こういう場合の私は節操がない。知り合いにはその知り合いにも訪ねてもらい、近所の人にも勧誘してまわり、友人の親をも勧誘し、しまいには散歩中の犬や昼寝中の猫にまで勧誘をおこなった。単価が安い分たくさん働かなければいかんのである。
だがあまりに授業料を安く設定してしまったがために、正直あまりまとまったお金にはならない。おそらくこの先英会話講師は趣味になっていくであろうと思う。だが偉くない私は定期的に偉そうにはしていたいのでやめることはない。

またもや大きく回り道をしてきたが、本題に入る。その2も終盤になって本題に入るという計画性のなさは、もはや私の属性であるのであまり突っ込まないで欲しい。
めでたく“消極的ニート”からバイト君になった私だが、それでは全然生活していくに十分なお金は稼げないのである。これから本格化する就職活動にだって、それなりにお金はかかるのである。

やはりもっと安定したバイトをせねばなるまいな。
そう考えた私はこれまた唯一学生時代のバイト歴が生かせそうなアルバイト、つまり塾の講師のバイトを探した。私は若い頃、暴走族のニーチャンたちと道路工事をする傍ら、学習塾で小学生を爆笑させ、家庭教師として高校生の母堂を誘惑していたのであった。

いそいそと真新しいスーツに身を包み学習塾の面接に向かったのは、台風の傷跡残る金曜日の昼下がりであった。
面接の模様は大して面白くないので省くが、採用の電話が来たのが昨日。私ははれて少々まともなバイトの職を得たのである。しかしながら依然として生活にかかるすべてをまかないきることは出来ないので、私独自の解釈に基づき今だ“フリーター”を名乗ることは出来ない。しかしながら以前のバイト君よりは随分とましになるのはたしかなので今日から私は、サイヤ人ならぬ“バイト君2”を名乗ることにする。

スゴロク盤上でも久しぶりに一歩進んだと見てよいのではないかと思うが、どうだろう?

一歩進む その1
先日の台風はすごかった。いっそ凶暴とでも言うべき勢力の台風であった。関東地方では大方の予想に反し上陸後は少々速度を上げ、金曜日の朝には都内は暴風域からは脱したようだが強い風は夕方まで続いた。
前日の夜中の窓の外から聞こえていた恐ろしい風の音は、まるでこれから私が立ち向かう世間の風を象徴しているように思えて、ただでさえ折れやすい私の心は不安でいっぱいになり、深い眠りに落ちることが出来なかった。

さて、先日お伝えしたとおり現在私はブログ開設当初の“ニートマン”という自虐的なペンネームを返上し、“バイト君”を名乗っている。なぜ“フリーター”という名称を使わないかといえば、そこには私の中での確固たる、及びまこと勝手なる名称の定義に対する解釈が存在するからに他ならない。

気付いたらずいぶん時間経ってしまったので、黙ったまま通り過ぎてしまったが、私の中では“ニート”という呼称の中にも二つのタイプの解釈をしている。すなわち消極的ニートと積極的ニートである。
少々誤解を招きやすい解釈だが、どこにでもいる所詮小市民である私の勝手な解釈なのでお許しいただきたい。
以下私自身をモデルにそれぞれを簡単に説明する。

ブログ開設当初の私は“積極的ニート”であった。消極的ではないのかと考える読者の方。ここが誤解を招きやすいところだが、当初の私は、スゴロクを進まねばならない、と口では言っていたが心のうちはすべてに絶望をしたままの自分を思い切り引きずっており、積極的に死のうとは思っていなかったが生きることにはすこぶる消極的であった。つまり何事もどうでもよいという投げやりな気持ちが間接的には“積極的”にニートでいることを支援していたといえる。
意識の有無に関わらずニートであることを自ら選択していた当初の私は“積極的ニート”であった。
ところが帰国時の痩せさらばえた体が回復し、食事を上手いと感じ、夜しっかり眠れるようになるにつれて、徐々にではあるが自らの未来について考えをめぐらすようになって来た。以前目の前は暗闇に包まれてはいたが、それを打ち払うことが出来るのは、たとえ何も持っていないとしても、自分しかいないのだという現実を受け入れ始めたのである。その時点で私は少なくとも現状からの脱却を模索し始めたのであり、私はニートでいることに消極的になり始めていた、つまり“消極的ニート”になっていたのである。

説明の下手くそな私は常に無駄に文章が長くなってしまうわけだが、つまりはそういうわけである。

さて、消極的なニートはニートでいることを良しとはしていないので仕事を探している。ニートでいることには消極的になっていた私だが、かといって仕事探しやバイト探しには臆病になっていた。何しろ職歴がないのである。そんな私が手っ取り早くできるコトといったら、現在唯一の私の武器と言っていい、英語を使うことであった。
ネイティブの日本人である私は日本語が堪能である。しかしながら日本語を勉強したいという外人を探すのは難しい。だが英語を勉強したいという日本人は結構いるのである。やりたいけど行動にはうつしていないという人は実のところ誰の周りにも5人に一人くらいはいるのである。


しまった、、、
うそをつけ!と思われるかもしれないが私は一話につきフォントサイズ12でWORD一ページに収めたいのである。そのつもりで毎回書いているのである。にもかかわらず今回はタイトルの内容に全く触れないうちに一ページを超えてしまった。無駄な文章が多くさぞ読みにくいことと思う。努力はしているつもりなのでそのうち完結かつわかりやすいエッセイになる(かもしれない)ので気長にお付き合いいただきたい。
というわけで

つづく。
1回休み その3
さて約15分の交渉の末、私は件の専門医の当日の予約がすべて終わった後に無理やりねじ込んでもらえることになった。快挙である。言ってみるものである。
事務のお姉さんの
“無理です”
の一言に、はいそうですかと諦めていたら私は咳を抱えたままとぼとぼと一人泣きながら帰路についていたのだろう。そうして解決策の見当たらないまま止まらぬ咳に悩まされ続けていたに違いない。

3時間後、やっと私の診察の時間がやってきた。
やっと出会えた専門医は見事なハゲ頭に笑顔をのせて
“やあ、待たせて申し訳なかったねえ”
と言った。どうやらいい人らしい。第一にその先生は私の顔を見て話してくれる。
これまでの若い医者はパソコンの画面を見たまま私の会話をしたもんだ。失礼この上ない。
私は事の次第を包み隠さず優しいハゲ先生に語った。ハゲ先生はすでに私のカルテや各種検査結果に目を通していたらしく、ほんの数秒私の呼吸音を聞いただけで病名を断定した。すばらしい。ハゲ先生はこういった。

“わかりました。これまでの治療とは変わりますね。結構強い薬なので体調が悪くなるかもしれません。完治には時間がかかると思いますが頑張りましょう。”

私はこのとき医者の本来あるべき姿を見たような気がした。このハゲ先生はすべての医者の亀鑑とすべき人物ではなかろうか。予約がいっぱいである事実もうなずけると言うものである。
パソコンの画面を見たまま患者と話し、原因も特定できぬくせに“とりあえず”薬を処方してお茶を濁す若い医者などいなくなって欲しいと思うのは、一人私だけではあるまいと思う。

現在私はハゲ先生が処方した飲み薬2種類、貼り薬、そして吸引薬を使用している。明らかに咳は減った。ハゲ先生のおっしゃるとおり明らかに強い薬で体調はよろしくないが、私は言われたとおりきっちりと薬を飲んだり貼ったり吸引したりしている。

帰り際にハゲ先生が言った一言が、忘れられない。

“これが効かないようなら難病を疑わなければいけませんからね。”

時間はかかってもいいから、治る病気であることを切に願う。
1回休み その2
みなさんは“紹介状”なるものをどのように書いてもらうか知っているだろうか?もしかしたらそれほど難しいものではないのかもしれない。が、これまで医者にほとんどかかったことのない私にとって“紹介状”なるものは未知なる物なのである。

さて、頼りになる友人よりいただいたリストに従って私は止まらぬ咳の原因を究明しかつ効果的な治療をするためその道の専門医を訪ねることとした。

いただいたリストをよくよく見れと、これまで通っていた大きな病院にも専門医の一人が所属していることが分かった。ここで一つの疑問がわいた。私はこれまで同病院の総合診療科、耳鼻咽喉科、そして呼吸器内科(二人)、計4人の別々の先生に診てもらってきた。相談の対象となった症状はいずれも“咳”である。そのたびに色々な検査をしては、全く原因もわからぬのに“とりあえず”と言って処方された薬を飲んできた。なぜ私のような患者をその専門医は見てくださらなかったのであろうか?

答えは専門医と知って後訪ねた日に明らかになる。

今日こそは原因だけでも知りたいとの切なる願いを胸に私はすっかり通いなれた病院へと向かった。まずは受付で、これこれこういう事情で件の先生にかかりたいのだと告げた。すると受付の白衣を着た看護士だか医者だかただの事務の人だかわからないおばさんは私の咳に露骨にいやな顔をして黙ってマスクをさし出した後、

“詳しいことは内科でご相談なさってください。”

とだけ言って、“はい次の人”と言った。
少々イライラとしながらも、黙って内科の受付へと赴き、再び先ほど話したことと同じ内容を話すと、
今度はうら若き受付の女性が笑顔で、

“紹介状はありますか?”

と言った。
紹介状?そんなものは見たこともない私は素直に“ありません。”と答えた。
するとその受付の女性、笑顔をふっと吹き消して、

“では無理です。”

とのたまったのだ。
“無理です?”だと??

この言葉に私は切れた。

“無理ですとはなんでぃ、無理ですとは、この野郎!仮にも俺っちはてめぇらからみりゃお客様だぞ。それをたった一言”無理です“で帰ぇらせちまおうってのはいってぇどういう了見だ、ええ?大体そもそも医者ってぇもんはすべからく病で苦しむ人々の痛みをとって差し上げようってぇ尊い仕事じゃねぇんかい、ええ、お嬢さんよう。俺っちぁこの一ヶ月、お医者様を信じて言われたとおりの処方で薬を飲み続けてきたんだ。にもかかわらずだ、症状は一向によくならねぇ。尊い仕事をしてらっしゃるお医者さんを疑うわけじゃねぇが、ちょこっとてめえで調べてみりゃ、この病院にゃその道の専門家がいなさるってぇことがわかった。咳がひどくて会話にもならねえで往生してた俺っちにしてみりゃ、藁にもすがる思いでこうして足を運んできたんでぇ。それをてめぇ、無理ですだあ?もう簡便ならねえ!やい、その専門の医者とやらをここへつれてこい!今すぐだあ!”

普段どんな人にもニコニコと標準語で話す私は、切れると方言が出てしまうのであった。

この場合受付の女性は私にここまで言われる筋合いはないので気の毒ではあったが、私も無理ですと言われてはいそうですかと帰るわけにはいかないのである。咳が止まらず会話ができないと言うのはどんな仕事をする上でもはっきり言って致命的である。約15分の交渉の末、何とか直接その専門医とやらに連絡を取ってもらってその日のうちに見てもらえることになった。

つづく
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