無職である、独身である。人生何度目かのスゴロクは始まったばかり。見ていきなせぇ笑いなせぇ。あきらめるのはまだ早い。 、、、の第二部 すっかり無職でなくなったおれっちの、右も左もわからねえ金融業界裸一貫進む様、とくとご覧あれ!
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黒川 紀章
亀田家のニュースがお茶の間を席巻している。本当は私もそのことについて書きたい。格闘技ファンを自認している私はボクシングだってユーリ・アルバチャコフ以来の大ファンなのである。
1ラウンド3分間という刹那の時に、鍛え上げた男たちがただ殴りあうという野蛮な行為の中になぜか人間の美しさを見出す人間は数多い。それはボクサー一人ひとりの人生がそのたった3分間の間に凝縮されて現れるからに他ならない。リング外で口汚く罵ることがボクシングの醍醐味では断じてない。一人のボクシングファンとして言いたいことは山ほどあるが、ここはあえて何も言うまいと決めた。彼らの蛮行を言葉によって断罪することは簡単である。しかしながらそれは獣と同等の行為によって、まさに自分で自分を彼らと同等の獣に貶めることになりはすまいか。
公平であるとはけして言えないボクシング協会ではあるが、今回ばかりは正当な処分を下すのではないかと思う。一人のボクシングファンとしてはそれを見守り、近い将来美しく強い本物のボクサーの出現を願うばかりである。

そんな加熱する亀田家の報道の中にあって、私の心を捉えたある訃報について私は触れたい。

世界的建築家、黒川紀章さんが亡くなられた。

私は黒川紀章という人間について何も知らない。世界的建築家と報道されるからには赫々たる業績に彩られた立派な人生であったに違いない。だが私にとっての黒川紀章は先の東京都知事選挙や参議院選挙に出馬して落選した有名な人、くらいの認識でしかなかった。今は自らの無知無関心を呪わざるにはおれないが、ともかく彼の訃報に触れた私の感想は、「へー、あの人死んだんだ」であった。そんなことよりもよっぽど亀田次男の蛮行の詳細や彼らの今後のことが気になった。ニュースの扱いも、私の興味と同様まったく小さなものであったのだから。
しかし時間がたつにつれ黒川紀章の奥さんである女優若尾文子さんによる彼の最期の言葉が報道されるようになった。
彼の奥さんに向けた最期の言葉は

「本当に好きだったんだから」

だったのだそうだ。
私はこの報道を目の当たりにして、涙を禁じえなかった。そして涙を流しながら思わず微笑んでしまった。それは一人の素晴らしい人生を生きたであろう男への賞賛の涙と笑顔である。
前述のように、私は黒川紀章なる人物について何も知らない。知らない人間の人生を素晴らしい人生と言い切るのはいささか乱暴かと思う。しかし私は心からそう思うのだ。

一人の人間が自分の死期を悟り、限られた余力と時間を持って何を伝えようとするのか?もちろんその内容は人によって違うのであろう。赫々たる業績を積み上げてきた彼にはおそらく語るべきことはたくさんあったであろう。だがそれでも、彼が自ら選んだ最期の一言は感謝でも後悔でもなく、何の衒いも偽りも無い純粋な言葉でただ、

「本当に好きだったんだから」

であった。死に瀕する者の言葉にうそ偽りがあるはずも無く、そのときの夫婦の間にはただ静謐なる時間と、そして完全な愛だけがあったに違いない。
彼は物質的な成功だけでなく、それに伴う地位名声だけでなく、多くの人が望みそして得ることのできない、いささか不遜な言い方になるが、人間にしかえることのできない最高の宝を得たのだと、私は思う。それは彼が成しえてきた他のどんなことよりも価値があることなのだと、私は思う。

私はいまや黒川紀章という人間について非常な興味関心を抱いているが、ここはあえて調べずにおこうと思う。彼についてはその最後の一言で十分わかったような気がするからである。
私のような人間が、このような拙文により黒川紀章という人物について語るは大変おこがましい。だが一言誄を捧げる自由を許してほしい。


黒川紀章
あなたは世界で一番幸せな男です。そしてまたあなたが死に際し発した言葉はあなたの大切な人を世界で一番幸せな女性にしました。
どうか安らかに眠ってください。



注:敬称はあえて略させていただきました。
スザンヌについて
スザンヌが好きである。

あの可憐な笑顔、そしてあのふんわりとした雰囲気。そしてそしてあの天衣無縫の天然っぷり。たまらんのである。彼女がテレビ画面に登場するだけで私の動悸ははやくなる。おそらく顔は赤くなり挙動も不審になっているであろう。一度でも彼女の顔を見れた日は幸せのまま就寝することが可能だが、一度もあの可憐な笑顔を見ることが出来なかった日は、意気消沈し、頭痛、発熱、勃起不全など、様々な症状を引き起こし、枕を涙でぬらすのである。

スザンヌが好きである


、、、ヨタを飛ばしている場合ではない。


前回、9月第3週の3連休、いかに私が寂しく孤独な日々を送ったかということを描写すると書いたが、日々の些事にかまけてサボっておったところ、気がつけばその次の週の3連休も過ぎ、9月が終わろうとしているのである。その間世間ではなんと贔屓の力士白鵬が優勝し、美しい国を作るはずだった首相は71歳のじいさまに代わった。安倍さんにしても福田さんにしても負けてしまった麻生さんにしてもそうなのだが、いったいいつからこの国のリーダーは世襲制になったのかと思う。
ま、本ブログは政治的な話を議論するブログではないので、その話はおいておく。

というわけで、すっかり日がたってしまったので3連休の話はやめにして、先週の就職活動についてお話しする。
私は現在いくつかの人材紹介会社に登録をしている。これには理由がある。求人広告というものは新聞なりネットなり雑誌なり、色んな媒体に数多くのせられているわけだが、30才で社会経験皆無という経歴が、その応募資格に該当することはなかなかない。自分ひとりで闇雲に履歴書を送っても面接までいたらず、お断りのメールが届くばかりである。そこで私は人材紹介会社に助力を頼ることにしたのである。人材紹介会社は依頼者の就職が決まって初めて収益が出る仕事なので、多少応募資格から外れていてもがんばって面接をさせてもらえるように計らってくれる。それでも私の30才経験無し資格なしという経歴は難しいらしく、そもそも紹介できる会社がないとお断りをしてくる紹介会社が5割。仮に仕事を請け負ってくれても書類選考で落とされること7割である。

私と同様の状況にある人がどれほどこのブログを読んでくれているかわからないが、はっきりいって厳しい状況であるとだけ伝えておく。おそらく31歳になればさらに状況は厳しくなるに違いない。

とか言いつつ本人はあまりあせってはいない。長い戦いになるであろう事は初めからわかっていたことである。あきらめず地道に就職活動を続けていくしかないのである。

先週は2つの面接に赴いた。感触としてはそれほど悪くはなかったが、はっきり言って生まれて初めての就職面接だったのでどういう印象を与えたのかよくわからない。

他にも紹介していただいた会社はあったがどうやらすべて書類選考でおちたようだ。面接にまで至らないこの状況は一体どうしたらいいのだろうか?どなたかいいアイディアがあったらお教えいただきたい。


それにしても、ああ、スザンヌはなんと可憐なのであろうか。
3連休
連休も終わり、普通の皆さんはお仕事に戻ったと思う。とはいえ今週末にはまたも3連休が待っているわけで、長く国を売っていた私としては、“あれ、9月ってこんなに休みあったっけ?”と驚くばかりなのであるが、この3連休、皆さんはどうお過ごしになったのであろうか?

私は恐ろしく暇であった、、、

暇を暇と感ずるは肉体的にも精神的にも健康である証拠なので好意的に受け止める反面、やっぱり暇はつまらんのであった。そもそも約8年も日本にいなかった私は、当然のことながらその間日本には友達が増えてはおらずむしろその不在の年月に比例して減った。それはいたしかたのないことなのであるが、さらにその数少ない友人も年相応に忙しくなり、友人知人は増え、結婚し家族が出来ているのである。自然、貧乏なうえに暇を囲っている私の相手をしてくれる人間はほぼ皆無と言ってよいのである。
そんな私ではあるが、いつどんなときにでも誘ってよいという友人が数人いる(もちろんそのルールは私が自分で勝手に決めたルールなので当人達はおそらく迷惑しているに違いない)。
三連休を前にして私は、まあそのうちの誰かが遊んでくれるので平気であろうと高をくくっていた。

そんな私を最初に追い詰めたのは、最近彼氏ができ、極端にメールの数が減った友人であった。その友人からのメールによれば、この3連休は件の彼氏とその友達と共に2泊3日のキャンプに行くとの事であった。

はて、お前はその前の週もキャンプに行ったのではなかったか?

私は思ったが彼氏とのはじめての旅行、しかもその友達が一緒ということではつまり彼の友人達へのそれはお披露目に違いない。まさに万難を排して参加せねばならぬ、これは一種の儀式である。私は泣く泣く、頑張れよ、と友人に伝えた。

続いての友人は事もあろうにトルコへ旅行に行ってしまった。トルコではさまざまな遺跡を観て回るのだという。私も行ったことがないのに、、、うらやましくてねたましくて私は直前に連絡するのをやめた。

さらに続いて少々普通の人とは違う職業についている友人は、彼氏がいないのできっとこの3連休も一人暇しているにちげーねえと連絡してみれば、人とは違う職業柄、世間の3連休は3連勤であった。人とは違う職業は人々が休みの時こそ忙しいのであった。
忙しい人から見ると、暇だ暇だと騒いでいる無職の私はどううつるのだろうと、恥ずかしい気持ちになった。

最後の砦である友人は数年前に結婚してしまって若干誘いにくくなったが、背に腹はかえられねーとばかりに連絡を取ってみれば、なんと富山でフットサルとゴルフに興じていた。嫁さんを一人家に残し旅行なんぞしやがって。私はいっそ友人の嫁さんと不倫でもしちまおうかと思ったが、てめーには不倫するほどの甲斐性がねー事を思い出して暗澹となった。

バイトもなく、金もなく、遊んでくれる友人もない私は、この3連休、一人実家で悶々としていたのであった。

次回一人で過ごした3連休を無駄に描写する。
でもそんなの関係ねえ
やっぱりやめた。

確か昨日はゆっくり病気を治すようなこと言っていたような気がする。

が、撤回する。

はっきり言って暇である。しかもいかに体力が落ちているとはいえ、咳以外は健康なのである。その咳だって薬飲んでいる間はかなりおさえられるのである。

遊びたい。女にもてたいわけではない。いやもてたらそれはそれでいいけど、そんなことより遊びの計画が私の頭の中では溢れんばかりなのである。
しかし遊べない、、、なぜなら金がないから。

そういえば言うのを忘れていたが私は現在英会話の講師をしているので既にニートマンではない。かといってフリーターの名乗れるほどたくさん稼いでいるわけではないので、今日からニートマン改めバイト君と名乗ることにする。読者の中に都内にお住まいで、格安で楽しく英会話をはじめたい、はじめたいけど外人は怖いという方がいらっしゃいましたら下記のアドレスまでご連絡ください。楽しく優しく英会話教えます。ただし18歳以上の男子女子、またはその中間の方に限ります。子供はだめよ。

itsmylife3548@yahoo.co.jp

話は戻して、金がなければ遊べない。金を得るにはやはり就職しなければならないのである。

もう辛抱たまらん。私はやっぱり東京に帰る。そして来週辺りから本格的に就職活動をはじめようと思う。

ただし咳が悪化するのはやっぱりいやなので医者の処方どおり薬を服用し、栄養の摂取に努め、適度の運動をした上での就職活動となる。はたして、、、
体力と免疫力
一回休みでお話したように、呼吸器の病気が意外にも重病だったため、帰国直後に転地治療をおこなっていたとある漁村のとある庵に舞い戻ってきている。

暇なんである。そりゃ呼吸器は患っているかもしれないが体のほかの部分はすこぶる健康なのである。

はやく病気を治さねばと気ばかりあせるが、あせっても仕方がないので医者の処方どおり薬を服用し、呼吸器の強化と体力及び免疫力向上のため適度の運動を欠かさず、栄養の摂取に努め、十分な睡眠をとることを心がけている。
そのおかげかどうかはわからないが、最近症状は驚くほど軽くなった。しかしこういうときこそ更なる用心が肝心である。たまさかの小康状態を完治と見誤り、インフルエンザがぶり返して入院した友人を私は知っている。私ももともとそういう用心のたらぬお祭り男なので、ここは心を鬼にして遊びに出かけぬようにしなければならない。

最近病気の話ばかりになってしまうが、私は去年の夏まで人後に落ちぬ体力の持ち主であった。現在の呼吸器の疾患は当時すでに発症していたが、おそらく並外れた体力とそれに伴う強靭な免疫力が症状の悪化を防いでいたに違いない。しかしながら2007年初頭のノイローゼ生活であっという間に体力は減退し、体重や見かけは往時に戻ったかに見える現在の私の体力は、今だほとんど回復していないのである。先日5キロジョギングのタイムを試しに計ってみて図らずもそれが露見したのであった。

去年の夏私は5キロのジョギング大会に出場していた。当時の私のタイムは26分。実を言うとこれは相当に遅い。5000メートルの日本記録は確か12分とか13分とかだから、ぶっちぎりに遅いわけだが、当時ペース配分とかも良くわからなかった初心者の私はレース後もてんで疲れてはおらずまだまだ早く走る自信はたっぷりとあった。
転地療養地に戻ってきた私は暇に任せてためしにどれだけ体力が落ちたかを測る指針として5キロのタイムを図ってみることにしたのである。走る前の予想は

30分ぐらいだったらまあいいかな

であった。しかし現実は残酷であった。
はっきり言って2キロ過ぎあたりでもうやめたくなった。足が前に進まないのである。それでも私は走り続けた。2キロでやめてしまっては小学校のときの自分よりひどい。私はまだ女性を知らなかった無垢な過去の自分を思い浮かべながら走った。3キロ過ぎ、もう死ぬ、と思った。心臓が破裂するかと思った。傍から見れば歩くより若干遅いスピードでゼイゼイと喘ぎながら走る私はさぞ滑稽だったに違いない。このとき中学校の陸上大会で女子の部で優勝した初恋の人を思い浮かべながら走った。4キロ過ぎ、もはや24時間テレビの欽ちゃんよりも遅いスピードで、なぜ俺は走っているのだ、なぜ俺は生きているのだ、と、一人哲学をしていた。このままでは走ることの意味を見出せず止まってしまうと思い、密かに想いを寄せる8人の女性の姿を思い浮かべて頑張った。

結果は私をしばしの絶望に追い込んだ。

42分であった。

しかも以前はゴール後もへっちゃらだったのに、今の私は走りきった後一歩も動けぬほど疲労困憊していた。
年齢のせいにはしたくない。だが5キロ42分という記録は下手するとそこらのジイサンバアサンよりも遅いのである。

しかし今の私はこれを前向きに受け取るだけの気力を回復させているであった。さすがにここまで遅い自分にはがっかりであったが、ここからある程度までは体力は向上していく一方に決まっているから、きっとこれからの計測は楽しいに違いないのである。

病気の回復と共に5キロ26分は私の新たな具体的な目標となった。
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